Destination Detail

マンダレーはミャンマー第二の都市で、大河エーヤワディー川の畔に広がる大都会です。ミャンマーが英国植民地になる1886年まで、最後の王朝コンバウン朝の首都だった町です。ミャンマー最後の国王、ティーボーは英国によってインドに追放され、この町は王都としての役目を終えました。ミャンマー中部に位置する東西南北をつなぐ交通網の要衝であり、郊外には国際空港があり、国内各地とも結ばれています。第二次大戦中は、この町を巡って日本軍と英国軍の激しい戦闘が行われ、近現代におけるミャンマーの激動の歴史とともに時を刻んできた町でもあるのです。

1857年、ミンドン王によってアマラプラに代わり、新たな首都としてマンダレーは建設されました。当時の王宮は戦火によって焼失しましたが、市内中心部には広大な王宮が復元されています。王宮近くには古くから続く金箔や仏像などの工房が数多く見られる職人街が広がります。市街地の北方に位置するマンダレー・ヒルからは整然と碁盤目状に区画された町並みを一望できます。経典が刻まれた仏塔が立ち並び、「世界最大の仏典」と称されるクドードォ・パヤー、大きなマハムニ仏が祀られるマンダレー屈指の寺院マハムニ・パヤー、チーク材の壁面の精緻な彫刻で知られるシュエナンドー僧院など高名な寺院もあります。夜になると、ダウンタウン周辺に多くの屋台や露店が出揃い、ナイト・マーケットが開かれています。

マンダレー周辺には多くの遺跡群や、かつての王都が点在しています。いくつもの寺院群が丘に建つ聖地ザガイン、ひっそりと遺跡が残るのどかな町インワ、エーヤワディー川の対岸にある仏跡の宝庫ミングォンなど、歴史的にも重要な史跡が残っています。東へ向かうと、英国植民地時代に築かれた緑豊かな高原の避暑地ピンウールィンがあります。空路、マンダレーを訪れると、市街地への道中、かつての王都アマラプラを経由します。タウンタマン湖にかかるウー・ベイン橋は世界でもっとも長いチーク材製の橋として知られています。湖畔にはミャンマー国内有数の規模を持つマハー・ガンダーヨン僧院があり、僧院の生活風景を見学することができます。

同じくミャンマーを代表する大都市でありながら、ヤンゴンと違い、バイクが道路を縦横に走り、東南アジア特有の喧騒が支配しています。一方で、かつての王朝の都としての風格を漂わせる建築や寺院群、伝統の技術を今に伝える職人街や伝統芸能など、昔ながらのよきミャンマーとも出会える新旧が交錯する町でもあります。最後の王都であったこの町は、植民地時代以降も決して衰退することなく、今日の繁栄に至っています。マンダレーは、かつての輝きを失わず、ミャンマーの他のどこにも似ない、燦然と強く光を放ち続ける都市といえます。